451 俳句で擬人化はいけないの?

  

俳句では擬人化や比喩が嫌われる傾向があります

嫌われる理由の一つですが、擬人化や比喩というのは、あくまでもその人の主観的な表現になる、と言うことがあげられます

 

蛙が寂しく鳴いている

雲が綿あめのようだ

 

などの表現は、良く考えてみると、作者だけの主観的な見方とも言えます

これが時として、嫌われる理由ともなります

 

雲が大波のようだ、と言ったとき、聞いた人が「なるほど、そうだ」と思ってくれればいいですが

そのように思わない人もいます

「雲が大波?意味が分からないんだけど・・・」

となることもあります

 

また、擬人化や比喩は、一度は誰かが言ったような表現を使ってしまうことが多くあります

二番煎じの表現の俳句をみた読者は

「この表現聞いたことあるよ」「この表現、だれかのパクリでは?」と思うでしょう

 

つまり、擬人化や比喩は

「理解されない表現を使ってしまうことで、読者に嫌われる」

「ありきたりの表現を使ってしまうことで、読者に嫌われる」

そんなリスクを含んだ表現技法なのです

 

このような問題をクリアして、擬人化や比喩が成功する確率は、千回に一回くらいと言われています

きわめて非効率な表現方法とも言えます

 

ただ、非効率な表現方法であるが故、多くの人が手を付けないという事実もあります

この表現方法を極めることで、個性的な俳句が作れるようになるかもしれません

 

 

話は変わりますが

人生の中で小学生の時期は、物を擬人化してみる能力が最も高まる時期です

子供たちと話していると、雲を「綿あめみたい」「富士山みたい」と言うことが良くありますよね

擬人化する能力の高まってゆく小児期には、むしろ積極的に擬人化や比喩の俳句を作った方が良いと思われます

それこそ、誰もが考えもつかない、大人になってからでは思いつかない表現の俳句を生み出すかもしれません

 

俳句を教えるのは、大抵が大人の側です

大人の凝り固まった考えで、一方的に「擬人化はダメだ」と言うのも好ましくないのかもしれません

 

 

俳句は自由です

どのような表現を使っても良いのです

 

擬人化や比喩の俳句の問題点を理解して

自分が「作りたい」と思うのであれば

気後れする必要はありません

どんどん作ってゆくべきだと思います

 

 

458 「蟷螂」の季語と季節について

 

蟷螂(かまきり)と言えば俳諧で言えば秋を指しますが、冬や夏の季語にも蟷螂は登場します

それぞれの違いを紹介します

 

蟷螂、蟷螂、とうろう、鎌切、斧虫、いぼむしり、いぼじり、祈り虫

 

 

蟷螂枯る、枯蟷螂

 

 

蟷螂生る、蟷螂の子、子蟷螂

 

 

 

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蟷螂(かまきり)、蟷螂(たうらう)、とうろう

かまきり科の昆虫。頭は三角で、胸部は細く腹はふくれ、鎌(かま)状の前あしで他の虫を捕らえて食う

 

 

 

鎌切(かまきり)

蟷螂のこと 。「鎌を持ったキリギリス」という意味で「鎌切」が使われることがある

 

 

 

 

斧虫(おのむし)

カマキリの別称。相手がどんなに強くてもカマキリが斧に似た前足をあげて立ち向かう様から

 

 

 

いぼむしり

カマキリの別称。 カマキリで疣(イボ)をさすれば消失すという噂がある

 

 

 

いぼじり

疣毟とも書く。カマキリの古名。「いぼむしり」の変化した「いぼうじり」の「う」の無表記にしたもの

 

 

 

祈り虫(いのりむし)

両腕をあわせ折りたたむ姿勢が祈りの手。下半身を覆う翅が、僧侶の長いローブに見えることから

 

 

 

 

 

 

 

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蟷螂枯る(とうろうかる、たうらうかる)、枯蟷螂(かれとうろう、かれたうろう)

蟷螂は、あたりが枯れゆくに従って保護色の枯葉色に変わってゆく

しだいに生気もなくなりやがて死に至る。 この様態を蟷螂枯るという

 

 

 

 

 

 

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蟷螂生る(かまきりうまる)

樹の枝に産みつけられた卵が五月頃孵化し、あまたの子カマキリが生れること

 

 

 

蟷螂の子(かまきりのこ)、子蟷螂(こかまきり)

孵化したばかりのカマキリの子ども

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

450 思い込みを裏切る俳句を作ろう

 

 

 

俳句を作る時、どうしても思い込みで作ってしまいがちです

 

桜 → 儚い

雲 → 白い

太陽 → 眩しい

 

 

世間一般で言われていることを、そのまま疑わずに俳句の中で使ってしまうのですが

それでは、「誰もが言っている俳句」「皆と同じ俳句」から、いつまでたっても抜け出すことはできません

 

 

俳句を作るときは

「思い込み」ではなく

「思い込みを裏切る」ようにしましょう

 

 

つまり、大多数が同じ意見である場合、別の意見で俳句を作ります

 

 

例えば、コスモスを見て誰もが儚いと言います

その場合、大多数の意見をなぞって、「コスモスは儚い」と言うのではなく

「コスモスは強靭だ」

と、世間一般の考えを裏切るような俳句を作ってみます

そうすることで、読者の関心をひくことができます

 

 

読者の関心をひいたら、次に

「どこを見て、コスモスが強靭だと感じたのか?」

「コスモスが強靭で、どうしたのか?」

といったことを、具体的に一句に盛り込みます

 

 

このような視点を入れるだけで、「一般の俳句とは少し違う」俳句に近づけるのです

 

 

459 無駄な単語の見つけ方

 

初心者の俳句には必要のない単語が多すぎます

必要のない単語を消せば、劇的に俳句はよくなります


では、どの単語を消せばよいのか?ですが、これは、一つの方法で簡単に探せます

対語があれば入れ替えてみることです

対語というのは、意味の上で互いに反対の関係にある語で、大小、上下などがそうです

対語が容易に入れ替えられるようなら、その単語は必要ない可能性が高いです


例えば次の句


「朝いちばん 小さな花を 摘みに行く」


朝いちばんがあるということは、昼いちばんや、夜いちばんもあるのか

そもそも、朝いちばんでなくてはいけないのか


小さな花ということは、大きな花もあるのか


摘みに行くというが、摘みに来たではいけないのか



このように考えてみるのです

対語と容易に入れ変えられてしまう単語、入れ変えても句にさして影響のでない単語は、そもそも必要のない単語である可能性が高いということです



上記の句では「花を摘む」というところは、動かしがたい言葉のようです

恐らく作者は、そのことを詠みたかったのだと思います

そうであれば、本来は

花を摘んだときの何に感動をしたのか

花を摘んでどうしたのか

それを具体的に詠まなければいけないのです

しかし、それを言葉にするのは難しいため、簡単に思いつく、その時(その場所)にあった不要な単語を入れて、字合わせをしてしまうのです


「朝いちばんで行った」だとか、「花のサイズが小さい」という、必要のない情報は

対語を入れ替えてみると、容易にその単語のもろさ、脆弱さが浮き彫りになります



俳句を見直す時の一つの方法です

作り終わったときに、確認する癖をつけましょう


449 俳句で人と違う視点を持つコツ

 

良い俳句を作るためには、「観察と想像」が必要だと言われます

じーっと観察して面白いものを見つけられるタイプか

想像して人が考えないことを思い付くタイプか

どちらか1個あれば十分だと言われます

 

 

どちらにも共通しているのは「人にはない視点つこと」と言うことになります

では、誰もが観察や想像さえすれば、人とは違う視点でものを見ることができるようになるのでしょうか?

そんなことはありません

人と違う視点でものを見るにはコツがあります

 

 

ここでは、そのコツを3つ紹介します

 

 

 

①別の意見で対象を見る

 

大多数が同じ意見である場合、一部の異論や別意見に対して深掘りをしましょう

例えば、桜は誰もが綺麗だと言います

その大多数の意見をなぞって、「桜が綺麗だ」と俳句で言ってみたところで

「そうですね」「だから?」

といった感想しか返ってこないでしょう

 

 

大多数の意見ではなく、少数の意見を深堀りすることです

例えば「桜は汚れている」と言えば

読んだ人は「ん?なんだ?」と興味をひかれます

 

興味をひいたところで、さらに深堀します

 

「具体的に、どのように汚れているのか」「汚れていることでどうなったのか」

などを盛り込みます

 

これだけで、一般の俳句とは少し違う、と思われる俳句に近づけます

 

 

 

 

 

②対象物の「変化」を見つける

 

対象物をずっと眺めていると、どのような物でも必ず変化があります

この変化した様子を、俳句で詠むことが大切です

鴨が水に潜ったことで、鴨の様子が大きく変化した場合、それを材料にします

逆に、何十分も鴨を観察しても鴨が不変だったとします、その場合は周りの環境が変化しているはずですので、鴨を中心にして、周りの変化を材料にします

 

いわゆる時系列の変化を詠むということです

当たり前の変化であっても、いざ、その変化を言葉にして示されると

それを見た読者はっとさせられます

「そういえば、そういうことがあるよな」と、読者の思い出が呼び起こされて

その俳句に共感することができるのです

 

 

 

 

③普通から外れたものを探す

 

どのような対象物でも、性質や状態などに傾向があるものです

蝶々であれば、「あちこちに乱れながら飛ぶ」という傾向があります

しかし、全てが同じように飛ぶわけではありません

中には、傾向から外れたもの(バラツキ)もあります

その普通から外れたものを見つけるように意識します

 

例えば、「蝶が翅を開いたまま風を滑空する」

という、普通から外れた飛び方もあります

 

 

観察の中でそのようなものを運よく見つけられたら、それを俳句にしましょう

それは人の気が付かなかった視点になります

 

 

注意点としては、余りにも珍しい性質(一万回に一回くらいしか見ることのできない性質)を俳句にしてしまうと

その性質を見たことのない人は、映像を浮かべることはできません

「そんなこと本当にあるの?」と思われてしまう場合もあります

 

 

 

対象物の傾向を述べただけでは、当たり前の俳句になってしまいます

傾向から余りにも離れすぎた性質を述べると、誰からの理解も得られません

「確かにそういうことあるよね」と言われるくらいの、調度よい距離間の性質を見つけるように意識しましょう

 

 

457 「秋」の季語と子季語について

 

秋の季語には、白秋や白帝などの子季語があります

「秋」が、なぜそのように呼ばれているのか、意味を紹介します

  

秋、白秋、白帝、素秋、高秋、商秋、金秋、凛秋、爽節、収成、三秋、九秋

 

 

夏の次の季節。立秋から立冬の前日まで。わが国では俗に九・十・十一の三か月

 

 

 

白秋(はくしゅう)

五行説において、秋の色は「白」であることから、「秋」の異称が「白秋」となった

 

 

 

白帝(はくてい)

五行説で、白を西・秋にあてるところから。西方の神。秋をつかさどる神

 

 

 

素秋(そしゅう)

秋のこと。「素」は白の意。五行説で白色を秋に配するところから

 

 

 

高秋(こうしゅう)

秋は晴れ渡って空の高く見えることから

 

 

 

商秋(しょうしゅう)

中国の音楽で使われる階名は、五音 (ごいん) の 宮(きゅう)、商(しょう)、 角(かく)、 徴(ち)、 羽(う)からなるが、「商」は四季では秋にあたる

 

 

 

金秋(きんしゅう)

五行 (古代中国に端を発する自然哲学の思想) 。万物は火・水・木・金・土の5種類の元素からなり、金が季節では秋にあたるところから

 

 

 

凛秋(りんしゅう)

秋のこと。「凜」は、字義として「寒い、すずしい」という意味がある。

 

 

 

爽節(そうせつ)

秋のこと。空気が澄明で気持ちの季節のこと

 

 

 

収成(しゅうせい)

秋のこと。秋の取り入れ。秋の収穫の意味がある

 

 

 

三秋(さんしゅう)

秋季の3か月

 

 

 

九秋(きゅうしゅう)

秋の90日間のこと

 

 

 


448 俳句は、読み手に何かを「思い出させる」もの

 

俳句というのは、意味を伝えるものではないと言われます

つまり

“風が吹いたから”桜が散った

“コスモスが揺れていたから“寂しく感じた

という「○○だから、△△になった」ということを、言わないということです

 

 

このようなことをいくら言ってみても、読者には良い俳句だな、とは思われません

風が吹いたら桜が散るのは当たり前でしょ?

コスモスが揺れて寂しかったんだ。へぇ。

 

そのようにしか、受け取ってもらえません

俳句で必要なことは、その時作者が感じた思いを、読者にも思い出させることです

 

桜が散って儚く感じたのなら、桜は儚く散っている様子を書く。それによって読者は、作者がそのときに感じた儚さを追体験し

「あぁ、この俳句を読むと儚く感じるな」

「昔、桜の下で儚い体験があったな。あれを思い出すな」

と感じて

あ、この俳句好きかも。となるのです。

つまり共感できる作品と言うことです

 

では具体的に、どのようにすれば、儚く桜が散る様子や、寂しくコスモスが揺れる様子を、俳句で書けるのでしょうか?その方法を説明していきます

 

まず、桜が散って儚く感じ、それを俳句で詠みたいのだとしたら

その出来事があった瞬間を思い出すことです

 

桜が散った瞬間、なぜあなたは儚く感じたのか?

それを思い起こして、俳句に書き込むのです

 

桜が夕日を浴びながら散ったので、儚く感じたのかもしれません

桜の花が、ただ一枚散ったので、儚く感じたのかもしれません

はたまた、桜が散った瞬間に、むかし同じ景色の中で、親友との別れを経験したことを思い出したのかもしれません

 

いずれにせよ、その瞬間に“儚く”感じさせた何かがあるはずです

それを、そのまま詠むのです

 

夕日浴び 桜散りゆく ばかりかな

夕さりに 桜一片 散りにけり

 

など、その時あなたに“儚さ”を感じさせた何者かを見つけて、俳句に詠み込みましょう

 

 

 

どうしても、儚く感じさせたものが何なのか分からない場合は、次の方法で

儚い感じを表現させることもできます

 

一句の中に、「桜」と「儚さを連想させる単語」の二つの単語を入れるのです

桜そのものにも、日本人は少なからず“儚さ”を感じますが、10人がいて10人全員“儚さ”を感じるわけではありません。ですから、もうひとつ「儚さを連想させる単語」を加えることで、より確実に一句の中から“儚さ”を感じさせるようにするのです

 

「儚さを連想させる単語」は、考えればいくつかは出てくると思います

どうしても思い浮かばないときは、こちらのサイトで探してください

連想される単語が、一瞬で検索できます

 

「連想類語辞典」

https://renso-ruigo.com/

 

 

 

 

俳句では、作者が感じた思いを、読者にも思い起こしてもらうように作ることが大切だということです

一つ俳句を作ったら、必ず

「この俳句を読んだ人は、わたしと同じ気持ちを思い浮かべるだろうか?」と

考えてみることも大切でしょう