俳句の教本は、上手くなるためのものではない

 
 
俳句の教本を読めば、俳句がうまく作れるようになると思っていたら、それは間違いです
俳句の教本は“論理”が書かれているだけです
論理は「この道を行けば障害に遭わない」ということをあなたに教えてくれるだけです
良い俳句を作れるようになるための道を教えている訳ではありません
このことは理解して教本を読んだほうが良いと思います
そうでないと、いつまでも教本ばかりを読んで「これを読んでいれば上手く作れるようになるはずだ」と勘違いをしてしまうからです
 
これは車の教習を考えると分かりやすいかもしれません
教習所は事故を起こさないような運転の基本や注意を教えてくれますが、上手い運転テクニックを教えてくれる訳ではありません
それと同じです
 
運転テクニックは何度も運転を繰り返さなければ上達しないように、俳句も何度もよい作品を鑑賞し、何度も作品を作り続けなければ上達はしません
 
 
教本を読むのは受動的な作業
作品を作って、良い作り方を発見していくのは能動的な作業
まったく正反対のことです
能動的に自分から探しに出て、そこで良い俳句を作る方法を発見していかなければいけません
 
ある程度良い俳句を作っている人の多くは、自分なりの作り方を持っています
その作り方を聞いて真似をしてもいいのでしょうが、それもやはり受動的な姿勢です
自分に合う可能性は少ないでしょう
そもそも、その人が良いと思っている俳句や、目指している俳句があなたと同じである可能性は少ないのですから、真似をしても良い結果にはならないと思います
 
 
最初は教本で俳句の基礎や、失敗しない作り方を勉強します
ここで得た知識をもとに、自分で試行錯誤をして良い俳句の作り方を身につけていく
このような順番であることは、頭に入れておきたいものです