例えば、綺麗な桜を俳句にしようとして
桜が綺麗だった、とだけ言っているのです
桜がどのように綺麗だったのか、を頑張って言おうとした形跡がないのです
また、表現方法にも、工夫を凝らしたという形跡がないのです
つまり、自分の最も感動した中心部分を言語化して、書こうとした気配がまったくないのです
言語化して書くことは難しいし、時間もかかります
だから、その作業は省いて「こんなもんでいいでしょ?」と
使い慣らされた言葉を書いて提出してしまうのだと思います
人それぞれ、物事への取り組み方はいろいろあるので、それに対してどうこう他人が言うべきでは無いのですが
このような俳句を出すなら、出さないほうがいいと感じます
それは、読者、作者ともにメリットがまったく無いからです
読者側からすれば
そのような作品はまず、感動することはありません
学ぶものが一つもありません
そのような作品を読まされた側は、ただの時間の無駄にしかなりません
作者側からしても同じです
そのような適当な作品を出したところで、自分の力が付くはずはありません
誰かが作品に対して講評をしてくれても、適当に作ったものに対する講評を、作者が真剣に受け止めるとは思いません
そうであれば、作者側からしても、作品を出すだけ、ただの時間の無駄でしかないのです
結局、そのような作品は、読者、作者双方の貴重な時間を無駄にさせてしまうことになります
「こんなもんでいいでしょ」と人を軽く扱う作品は、俳句に限らず、世の中に溢れかえっています
10分程度の内容を1時間かけて放送するテレビ番組
広告ばかりの雑誌
見えるところだけを美しく装飾した家具
どれも、「こんなもんで」が丸見えです
一方で、このような仕事もあります
人が寝ている時間から起きて、手間暇をかけて作られる野菜
表向きには分からないですが、使い勝手の考え尽くされた食器
一流スポーツ選手の命を懸けたプレー
ここに「こんなもんで」という力の出し惜しみはありません
どちらで俳句を作るか、です


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