季語の無い俳句を作っても良いのですか?という質問があります
作っても大丈夫です
俳句には絶対に季語を入れなければならないというルールはありません
季語を入れるか入れないかは、作者の自由です
句会などで無季の句が出ると、季語のないことだけを指摘する声がよく上がります
季語の有無を第一の評価基準にするような発言というのは少し辟易します
重要なのは、その句が何を言っているのかであって、季語の有無は二の次です
季語を絶対に入れなければいけないという約束は俳句にはありません
そのような約束があるのは連歌です
絶対に季語を入れなければいけないという人は、連歌の約束を混同しているのでしょうか
季語の歴史を振り返りましょう
飛鳥時代(592-710年)から奈良時代(710-794年)に作られた万葉集は、四季ごとの歌、季節の歌などの巻があり、詩歌と季節との関係が深かったことが伺えます
ただ、このころに季語という概念はありませんでした
平安時代(794-1185年)後期、「能因歌枕」には月別に分類した150の風物が掲載され、ここで初めて150の季語ができました
鎌倉時代(1185-1333年)、連歌が生まれます
連歌は複数人が歌を詠みつなげて、全体を通して季節の移り変わりを楽しむものでした
そのため、最初の句(発句)では必ず季語を入れるという約束ができました
江戸時代(1603-1868)、芭蕉が連歌の最初の句(発句)を独立させるようになります
明治時代(1868-1912)、正岡子規が俳諧連歌の発句を独立させて俳句と名付けました
この歴史を見ると分かりますが、季語を入れなければいけないというのは連歌での話です
連歌では季節の移ろいを楽しむために、最初の句(発句)に季語を入れました
その発句が俳句になったため、季語も必然的に引き継がれましたが
俳句は一人で作っています、一句独立で作っています
ですから、季語があってもなくても関係がありません
数十句の作品を通して季節の移ろいを表現しなければならないというルールはないのですから
俳諧を俳句と名付けた正岡子規は、次のような言葉を残しています
「歳時記よりも実情を優先せよ。歳時記は季語の基準にはなるが、それに縛られて窮屈な俳句を詠んだり、窮屈な評価をすることは無意味である」
季語のない俳句を作っても問題はありません
季語の有無に気を取られる必要は全くなくて、作者の自由で良いのです
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