俳句に余情をだす方法

俳句では余情が大切だとよく言われます。おそらく初めて俳句をやる人も、それは大切そうだということは何となく分かると思います。

ここではどのようにすれば俳句に余情が出せるのか、を説明していきますが、その前に余情とは何なのかを一度考えていきましょう。余情が何であるのかが分からない状態で、余情のある俳句を作るということはできないからです

俳句の世界でよく言われる説明は次のものです。
「俳句を読んだ後に残っている、しみじみとした味わい」「表現の背景に、なお感じられる趣」

何となく分かるのですが
しみじみとした味わい」
この表現が曖昧で、余情の理解を妨げています。

この「しみじみとした味わい」というのは「情」です。
愛情、哀情、温情、恩情、激情、厚情、懇情、私情、純情、抒情・・・
そういった「情」です。
愛情、哀情、温情などの何かしらの情を俳句から感じ、さらに読み終わってからもまだ残っている情が余情ということです。余(残っている)情です。

ですから、「愛情、哀情、温情、恩情、激情、厚情、懇情、私情、純情、抒情」などは、ある物事に触れた心に生じる感情ですが、「余情」はそれらの人間の感情を作品から感じ取って、作品を読んだ後にもまだ残る情です。
この違いを理解することはとても重要です。というのは、これが余情のある俳句を作るための答えだからです。
余情は作品を読んだ後にもまだ残っている情であるなら、余情のある作品を作るためには、作品に「愛情、哀情、温情、恩情、激情、厚情、懇情、私情、純情、抒情」などを入れなければなりません。ここを意識せずに情を含まない題材で作品を作り、どうすれば余情を生み出せるのだろう?と試行錯誤をしても、それは無駄な労力に終わる可能性が高いでしょう。
情を含んだエピソードを作品にすることで、読者は作品からあふれる情を、読後もしみじみ感じることができるのです。

では、どんな「情」のエピソードを作品にすれば良いのかですが、読者が読後もしみじみと感じやすい情は、次の情だと考えます。


愛情 : 家族、友人、恋人、物、動物、所属集団などに感じる、大切、いとしい、支えたい、信じるなどの感情。
哀情 : 悲しく思い。
温情 : 思いやり。
恩情 : 情け深い心。慈しみの心。
厚情 : 人情が厚いこと。厚い情。相手の気配りや思いやりの心。
友情 : 友達の間の情愛。
旅情 : 旅に出て感じるしみじみとした思い。


これらの情を含んだエピソードで俳句を作ることは、俳句に余情を出すための誘因となります。
ただ、情はこれ以外にもありますので、参考までに掲載しておきます。
 

激情 : はげしくわき起こる感情。
懇情 : 親切で真心を尽くした心くばり
純情 : 純真で邪心のない心。
多情 : 情が深くて、感じやすいこと。
同情 : 他人の身の上になって、その感情をともにすること
熱情 : 燃え上がるような激しい感情。
薄情 : 人情に薄いこと。思いやりの気持ちがないこと。
非情 : 人間らしい感情をもたないこと。感情に左右されないこと。
慕情 : 慕わしく思う気持ち


「情」は愛情や友情といった明るいものばかりだけではないことが分かります。悲しみや怒りなどの情もあります。葬式、祈念式典、葬祭施設、宗教施設、霊園や霊場の空間、戦跡、事故現場跡で生じる情などがその一例です。恐怖や苦痛を与えるもの、不調和なもの、不安定なもの、危険なもの、得体が知れないものに触れたときに感じる、拒否感を伴うような情もあります。

このような題材で詠むことも、余情に繋がるとは思いますが、やはり多くの読者が共感するのは、愛情や友情といったエピソードではないでしょうか。

愛情のエピソードというと難しそうに感じますが、身近なところで言えば、子供の成長を詠むのでもいいと思います。愛情は人に限らなくてもよいでしょう。飼っているペットに対する愛情もあるでしょうし、野生動物への愛情もあります。植物に対する愛情もあります。あなたが大切にしているものを題材にして詠めば、それがそのまま愛情を含んだ作品になるはずです。

このような視点で「情」のエピソードや体験を作品にしていきましょう。



「そのような体験がない」という人は?
そのような体験がない、あまり思い出せないという人は「形容詞」を意識しながら普段の風景を見ましょう。「形容詞」は人の感情を表す言葉で、ざっくり言うと「嬉しい、寂しい、愛しい」など「い」で終わる言葉です。「嬉しい」と感じる風景や出来事、「寂しい」と感じる風景や出来事、「愛しい」と感じる風景や出来事を探しましょう。それが俳句の題材になります。
「嬉しい、寂しい、愛しい」は、先に説明したように「人の感情」を表す言葉です。「情」です。つまり、そのような視点で探した風景や出来事が、そのまま余情につながる「情」のエピソードになります。

下記は形容詞の一覧ですので、参考にしてください。
こういった言葉を感じる風景や出来事はどこにあるかな?と意識しながら探してみましょう。特に、最初の太文字のものは共感を得やすい出来事だと感じます。

愛しい 、 義理堅い 、 照れくさい 、 尊い 、 心強い 、 好ましい 、 快い 、 すがすがしい 、 恋しい 、 頼もしい 、 幼い 、 可愛らしい 、 すまない 、 真っ白い 、 眩しい 、 清い 、 騒々しい 、 めでたい 、 かっこいい 、 ありがたい 、 心地よい 、 思いがけない 、 否めない 、 くすぐったい 、 計算高い 、 途方もない 、 いやらしい 、 名残惜しい 、 うっとおしい 、 疎い 、 心細い 、 情け深い 、 奥深い 、 名高い 、 何気ない 、 おっかない 、 生々しい 、 おびただしい 、 しぶとい 、 生温い 、 おぼつかない 、 じれったい 、 悩ましい 、 馴れ馴れしい 、 思わしい 、 辛抱強い 、 輝かしい 、 あっけない 、 気まずい 、 たやすい 、 あらっぽい 、 たわいない 、 著しい 、 気難しい 、 手強い 、 かしましい(うるさい) 、 すさまじい 、 粘り強い 、 堅苦しい 、 すばしっこい 、 望ましい 、 かつてない 、 切ない 、 儚い 、 待ち遠しい 、 物足りない 、 計り知れない 、 脆い 、 華々しい 、 真ん丸い 、 見苦しい 、 ややこしい 、 ゆゆしい 、 みずみずしい 、 欲深い 、 久しい 、 未練がましい 、 平たい 、 空しい 、 古めかしい 、 目覚しい 、 煩わしい 、 紛らわしい 、 目まぐるしい 、 青白い 、 きめ細かい 、 でかい 、 飽きっぽい 、 厚かましい 、 情けない 、 危うい 、 生臭い 、 渋い 、 肌寒い 、 淡い 、 ずうずうしい 、 甚だしい 、 素早い 、 等しい 、 勇ましい 、 鋭い 、 相応しい 、 意地悪い 、 水っぽい 、 薄明るい 、 そそっかしい 、 たくましい 、 やむを得ない 、 おめでたい 、 用心深い 、 頼りない 、 弱々しい 、 思いもよらない 、 若々しい 、 限りない 、 惜しい 、 怪しい 、 薄暗い 、 粗い 、 荒い 、 えらい 、 賢い 、 慌ただしい 、 激しい 、 我慢強い 、 しつこい 、 痒い 、 図々しい 、 真っ黒い 、 みっともない 、 くだらない 、 だらしない 、 醜い 、 くどい 、 力強い 、 悔しい 、 苦しい 、 面倒くさい 、 黒っぽい 、 鈍い(にぶい) 、 煙たい 、 ものすごい 、 険しい 、 眠たい



形容詞を感じる風景や出来事であれば、高い頻度で遭遇するはずです。感動する出来事を待つこと、エピソードを思い出すことよりも、こちらのほうが楽に題材に出会えるかもしれません。
題材が決まれば、その題材で俳句を作ればよいのですが、作るときに意識したいポイントがあります。

形容詞を消すことです。

形容詞を感じる風景や出来事を作品にするのですが、形容詞の単語である「嬉しい、悲しい」などを作品に書くことはやめた方がよいでしょう。
「嬉しい」といった表現をことあるごとに作品で出すのもいいかもしれませんが、それよりも嬉しさを感じるエピソードを作品で書くことで、読者の心にもジワッとした熱いものが生じます。
また、「嬉しい、悲しい」と書かなくても、「嬉しい、悲しい」エピソードを書けば、読者にもそのときの「嬉しさ、悲しさ」は伝わります。ですから、わざわざ形容詞の単語を作品に書く必要はないと言えます。
ただ、そうはいっても「嬉しい、悲しい」といったエピソードを俳句にするのですから、「嬉しい、悲しい」という言葉を使ってしまうという人もいるはずです。そのような人のために、形容詞を消す方法を5つ紹介します。形容詞の単語を入れて作ってしまったときは、これから説明する方法で形容詞が消せないか考えてみましょう。



形容詞を消す方法1
作品の中の形容詞の単語を大胆に省略してみましょう。
形容詞が含まれる文があったとき、文の中の形容詞がなくても意味が通じることは多いものです。

孫が生まれて嬉しい    → 孫が生まれた
嬉しくて孫の名前を書いた → 孫の名前を書いた

形容詞は多くの場合、文を装飾する働きで使われます。ですから、形容詞がなくても文には何の影響もありません。
むしろ形容詞がなく、事実だけを提示されることで、読者はその背景にある人の感情を、読者の想像で埋めることができます。


形容詞を消す方法2
形容詞を名詞に変えられないかを考えます。
「嬉しい、悲しい」 → 「嬉しさ、悲しさ」
形容詞の語尾が「い」の場合は、「い」を「さ」に変えると名詞化できます。

孫が生まれて嬉しい    → 孫が生まれた嬉しさ
嬉しくて孫の名前を書いた → 嬉しさに孫の名前を書いた

形容詞の「嬉しい、悲しい」のときは作者の感情が強く前面に出てしまいますが、名詞化した「嬉しさ、悲しさ」では少し感情を抑えた、客観的な視点に代わります。


形容詞を消す方法3
類語辞典で、別の言い方を探すことも有効です。
「嬉しい」の類語を探せば「(心が)弾む、(気持ちが)跳ねる、(気持ちが)上ずる、心躍る(心地)」など沢山の単語が検索できます。
単純な「嬉しい」といった感情表現ではなく、もっとその時の気持ちに適した言葉がないか探してみましょう。


形容詞を消す方法4
「嬉しい、悲しい」をいう言葉を使わず、「嬉しさ、悲しさ」を感じさせる動作を入れる。
孫が生まれて嬉しい    → 孫が生まれて嬉しい両手で受けた (「孫が生まれて嬉しい」と言われるよりも、両手で大切に受け止める動作の方が嬉しさを感じます)
嬉しくて孫の名前を書いた → 嬉しくて墨をたっぷりつけて孫の名前を書いた (「嬉しい」と言われるよりも、「墨をたっぷりつけて」の動作の方が、心が弾む様子までも感じられます)

両者とも「嬉しい」という言葉よりも、嬉しさが十分に伝わる内容になります。


形容詞を消す方法5
「嬉しい」ではなくて「他人が見ても嬉しそうな状況・様子」を書きましょう。こうすることで「嬉しい」という主観的な表現は、強制的に客観的な表現になります。

孫が生まれて嬉しい  → 孫が生まれて飛び跳ねた

「嬉しい」という主観的な表現、つまり作者の感情の報告であったものが、客観的な状況となり作者の抑えきれない喜びまでも感じられます。




いま挙げた方法で、作品の中の形容詞を消せると余情は大きくなります。余情が大きいと、読者の感動も大きくなります。情は、「物に深く感じ入り動かされる心の反応や状態」です。その情により心が動かされたものを感動といいます。つまり、情が大きいほど、読者の感動も大きくなるということです。


「俳句に余情をだす方法」について書きました。
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最後に、作品に入れる情について個人的な考えを書かせてもらいます。
人は社会を構築しその中で生活するからこそ、人の感情を共感してお互いを理解し合えます。だからこそ、作者が作品に入れた情を読者は感じとれます。
作品に入れるものにどのよう情を選ぶのかは最終的には個人の選択です。ただ、どのような情を選ぶにしても、自分が読者の立場だったときに心地よいと思えるものを選びたいものです。