俳句は、送り仮名によって意味が変わってしまう

 
 
俳句では、名詞には送り仮名をつけません
 
これらはすべて名詞なので、送り仮名はつけません

月・鳥・花・山・男・彼

 
ですので「光」と書いた場合は名詞
「光り」と書いた場合は、動詞になります
 
 
名詞には送り仮名はつけませんが、例外があります
動詞が名詞化したものは、もとの語の送り仮名の付け方に準じます

(動詞) → 動(名詞)

(動詞) → 走(名詞)

(動詞) → 泳(名詞)

 
 
また、もとの語に「さ」「み」「げ」などの接尾語が付いて名詞になったものも送り仮名を付けます

正し・重・憎し・惜し

 
 
これらのルールは、個々人の表記を規制するものではありませんが
できれば、ルールに従って送り仮名を使った方がいいと考えます
 
名詞は送り仮名無し、動詞は送り仮名有り
を無視して俳句を作ると、俳句の意味が変わってしまうことがあるからです
 
畦に腰据えて寂しや山椒売(名詞)
畦に腰据えて寂しや山椒売り(動詞)
 
上の句は「畦に腰を据えて寂しそうだなぁ。山椒売りの人」という意味になりますが(作者が山椒売りの人を見ている景)
下の句は、「畦に腰を据えて寂しいなぁ。山椒を売りながら」という意味になります(作者が山椒売っている景)
 
送り仮名が有るか無いかの、小さな違いですが、このように意味は大きく変わってしまいます
小説であれば送り仮名に誤りがあっても、前後の流れから読者は過ちを修正して読んでくれます
しかし、俳句は十七音しかないため、一音の違いで取り返しのつかない意味の違いを生んでしまいます
 
送り仮名によって意味が変わってしまいかねない俳句は
先に示したルールを基準にし、その上で更に注意しながら使うことが求められるのではないでしょうか