俳句は、感動を具象化すること

俳句は、感動を具象化する作業ともいえます
「具象化」というのは、脳内にある曖昧な考えやイメージをかき集めてはっきりとした姿や形を現すことです

脳内の曖昧な考えやイメージというのは主に
美しい、寂しい、悲しい、儚い、といった感情を表すような一般概念

一般概念なので、「寂しい」と言えば、あぁこの人は「寂しい」のだな、とは分かってもらえます
ただ、実際にはあまりにも抽象的で曖昧な言葉であるため
「寂しいんだね」とは言ってもらえても、誰ひとりとして作者の寂しさを分かる人はいないはずです

だから、「夕焼けが美しい」「蝶が朽ちて寂しい」といったことを、いくら俳句で述べてみても
作者の「美しさ」を「寂しさ」を共感する人は、実際は一人もいないということです

俳句でやるべき作業は、この「美しい」「寂しい」と言った曖昧な言葉を、はっきりした形に表すことです
はっきりした形に表すには、その物の、どの様な状態が寂しかったのかを、言語化することです
そうすることで、読者はその状況を追体験できます
追体験をして、読者の心にも「寂しさ」の感情が広がります
中には、過去の体験が鮮烈に蘇って、そのときの「寂しさ」を思いだす人もいるはずです

美しかった、寂しかった、悲しかったという、脳内に生じた感情を、言語化する作業は大変です
それでも、言葉にするために、徹底的に考えることです
考え抜かれて出てきた言葉を提示されたとき
(それが核心を突く言葉だった場合)読者ははっとします
同じ状況の時に、自分を寂しく感じさせたもの
口に出そうとしても出なかったその何かが、言葉として提示されて
そうだ、これが言いたかったんだ
と思います


感動を言語化する作業に、定型だった方法論はありません
言葉を何度も、入れ替え差し替えする中で「この言葉かな」という物を見つけるほかありません

「美しい、寂しい」といった常套句を安易に使って、はいできました、と言わないように気を付けたいものです