「文語の俳句を鑑賞」できても、「文語の俳句が書ける」訳ではない

まずはっきりさせたいのですが
文語で書かれている俳句を「鑑賞する」ことと
文語で書かれている俳句を「書くこと」は、まったく別物です
それぞれの勉強方法もまったく違います
ここを理解しておかないといけません

なぜこんなことを言うのかというと
文語の俳句を鑑賞できたからと、その流れで「あの俳句でこの言葉遣いを使っているのだから、同じように使って大丈夫だろう」というようにして、文語の俳句を書いている人がたくさんいるからです

文語の俳句を鑑賞することは簡単です
文語の俳句を書くことは難しいです
簡単な印象のまま、書けると思っても、それは無理です

鑑賞と書くことの違いを説明します


【鑑賞は簡単】
鑑賞の場合、作品で使われている単語は、大抵見ればすぐに意味が分かります
単語の前後にある助詞は、見慣れないものが使われていると、調べなければ分かりませんが、それを調べれば文の意味が分かります

例えば、次の句
「さくら満ち一片をだに放下せず」
でしたら

「さくら」「満ち」「一片」「放下」といった単語は、意味が分かります
「だに」「せず」などの助詞は、見慣れていないと分かりませんが、そこさえ調べれば一句の意味は理解できるということです

つまり、鑑賞の場合は、見慣れない(大抵1つか2つの)助詞を調べれば、鑑賞が出来てしまいます


【書くのは難しい】
一つの助詞の意味を調べただけで鑑賞できるからといって、助詞の意味だけを調べただけで書けるかと言えば、それは無理です
「多分ここに入れて大丈夫でしょう」と言って、適切そうな場所に助詞を放り込む人がいますが
それでは書けません
使える場所や、使うときのルールなどがあるからです
それらを理解してようやく書けるようになります


ほかの俳句の表現を真似て、文語の俳句を書いている人は
文語・文法の勉強は必ずした方がいいです

文語・文法を理解していれば、句を鑑賞したときに、動詞の活用、名詞と助詞の繋がりなど、すべて言葉で説明することができます
もし、すべてを言葉で説明できる自信がないのでしたら、まだ理解はできていないということですので、勉強しましょう



俳句は視点、発想などが重要で、口語・文語の表記方法はどうでもよい、という人がいます

もしかすると、そうかもしれません
ただ、あなたはそのような考えは持たないようにしましょう
そのような考えで俳句作りをおこなうと
「どうでもよい」が、あなたの俳句作りのスタンダードになります