390 俳句は多作と寡作のどちらを目指すべき?




俳句の世界では、多作(たさく)が良しとされていますが
中には、寡作(かさく)が良いと言う人もいます



多作(たさく)
作品を多く作りること

寡作(かさく)
一つの作品を入念に作り上げること



俳句は多作か寡作のどちらがいいのか、ですが
わたしは、多作をするべきだと思います


多作で、どんどん作品を作って行くべきです
そうすることで、作品の質も上がるのではないでしょうか


一つの作品を入念に作り上げることも悪くはないのですが
完璧を求めすぎてそのようなスタイルをとるのは、時間がもったいないと思います
完璧を求めても、完璧な作品など誰にも作れないと思うからです
完璧は作れないけれど、そうなるように努力することしか、できないのだと思います



例えば良い作品を作ろうとするときに、100句を作って、その中で一番良さそうな句を入念に推敲するのと
最初から1句だけを作って、その1句を入念に推敲するのとでは、どちらが良い作品になるでしょか
おそらく100句の中から選んだ1句の方が良い作品になる確率は高いと思います

俳句は、100句を作っても、自分が「はっ」と思う句は1句有るか無いかです
他の99句は、そもそも材料へ向けた視点に問題があるため、いくら推敲を重ねても、自分が納得できるような作品にはならないことが多いのです
ですから、最初から1句だけを作って、その1句を一生懸命推敲することは、良い作品にならない句を、頑張って直している、ということをしている可能性も高いのです


良い作品になりそうな種が、ぽっと出てくる確率は、大量に作っている人の方が、絶対に多く巡り合えます
大量に作った作品の中から、ぱっと出た、良くなりそうな種、これを重点的に推敲した方が良いと思います



ここまでの話は、自分の作品を自分の目線で見たときの考え方です
それだけでなく、自分の作品を他人が見た目線でも考えてみましょう



これは当たり前のことですが、人間の好み(読者の好み)は様々です
ですので、自分が何時間もかけて納得をする俳句を作り上げたとしても、まったく見向きもされないことがあります
逆に、何かの拍子にポンと出た俳句が、多くの人の評価を得ることもあります
自分の評価と他人の評価は別物です

そうであるなら、多くの作品を出して、多くの人に見てもらった方が
良いと評価される句の数は多くなるはずです


わたしは初学者ですし、凡人ですので
どんどん作品を作って、どんどん大会に応募して、先生方の評価を問いています
すると、思ってもみなかった作品を評価されることがたまにあります



とにかく打席に立つことです
1回の打席でホームランを打つことは、難しいかもしれませんが
100回打席に立てば、1回くらいはホームランが出るはずです