389 「初学は多作」「ベテランは寡作」という危険



俳句の世界では、初学の頃は「多作多捨(たさくたしゃ)」がよしとされているが
ベテランになるにつれて、俳句スタイルが変わり、寡作専一(かさくせんいつ)になりやすいそうです



多作多捨(たさくたしゃ)
作品を多く作り、駄作はどんどん捨てるスタイル

寡作(かさく)
一つの作品を入念に作り上げていくスタイル

専一(せんいつ)
その事を第一に考えること



なぜこのように変化するのかというと
俳句を長くやっていると、だんだんと頭の中で捨てる句が多くなってしまうため
ノートに書き出す前に「これは前に作ったよな?」と思い、捨ててしまうのです
そして、頭の中に残った数句を書き出して、それを念入りに作り上げていくというスタイルに変わって行くのだそうです


ベテランになるにつれて「頭の中で句を捨ててしまう作り方」になるようですが、この作り方について、忠告に似た言葉がありますので、紹介します




コンピュータ科学者のフレドキン教授の言葉です
フレドキンは、沢山のアイデアを生み出すことで有名ですが、彼は自分がアイデアを生み出すことについて、このように述べています


私は良いアイデアを生もうと努力している訳ではなく
むしろ悪いアイデアをたくさん考えることにしている
その中から、たまに素晴らしいアイデアが顔を出すからです

最初から良いアイデアを生み出そうとすると、何かに気が付いても
まずはそれを評価する気持になって、多くの場合は「つまらない」方のゴミ箱に入れてしまいます

そのアイデアに関連したことはいくつかあるはずなのに、
それらも次の候補としては顔を出すことはなくなり、私たちの限られた記憶の倉庫の中はすぐ空になってしまいます
そこから良いアイデアはまず出てこないでしょう


その反対に、とにかくアイデアが閃いたら、良くても悪くてもそれをしっかり育ててみる
その上で、拾うべきかどうかを考える、という順序にすると、仮に駄目なアイデアであっても
そのアイデアから派生する全く別の畑への道が見えてきたりするということなのです


教授の言葉は、俳句にも通じると思います
だんだんと頭の中で考えるようになり、捨てる句が多くなる、つまり「つまらない」方のゴミ箱に入れてしまうと、そこから派生したであろう新しい俳句も無くなってしまうのではないか、ということです



俳句作りに慣れてくると、「頭の中で句を捨ててしまう」ことが多くなるそうです
もしあなたが、俳句作りに慣れてきたときには、ときおりフレドキン教授の言葉を思い出しましょう
良くても悪くてもしっかり育ててみる
その上で、残すか捨てるかを考える