375 俳句では「コスモスが赤い」というような、説明はいらない



俳句を作っていると、知らず知らずのうちに説明的な表現を使ってしまいます

例えば
「コスモスは赤い」
「コスモスが揺れている」
といった表現です

これは単に季語を説明しているだけにすぎません
誰が見ても、そんのようなことは分かりますので、いまさら俳句で言ってみたところで
「だから?」と思われてしまいます


作った俳句を見直した時に
季語の説明をしているようであれば、説明的な表現を直さなければいけません


では、どのように直せばよいのか、ですが

コスモスが赤い

というように作ってしまった場合は

コスモスが(どのように)赤いのか
コスモスが赤いことで(どうしたのか)


という視点で作り直すと良いでしょう


「コスモスが赤かった」だけでは説明でしかありませんが
「コスモスがどのように赤かったのか」
「コスモスが赤い事でどうしたのか」となると
コスモスの赤さの本質を表現することになります


視点を少し変えるだけで、俳句はぐっと良くなるはずです