330 俳句で擬人化を使ったら、こんなことを言われた



擬人化を句に入れることは、両極端に意見が分かれます
駄目だという人がいる一方、良いという人もいます


駄目だという人の多くは
単なる物質に、人間の性質を与える表現自体が理解できないようです
このような考えを持つ人は、物だけでなく、植物や動物に対する擬人化も容認できないようです
人によっては、擬人化の俳句に強い嫌悪感を抱くこともあるようです


擬人化を使っても良いのでは?という人の意見には、次のようなものがあります
自然の中の一部として人間がいる以上、自然と人間は同じものであり
その自然の生命観を描くとき、擬人化が出るのはごく当たり前のこと


どちらの意見が正しわけでも、間違っているわけでもないでしょう
作者が擬人化に対してどのように思うかで、判断が分かれるのは当然です


以前、私は擬人化の俳句を句会で提出したことがあります
「暮早し月はひかるを急きにけり」
暮れるのが早くなる冬では、暮れればすぐに月も光り出します
その景色を見て、日が暮れるのが早いから、月も光るのを急いでいるようだな
と思って作りました

「月が光ることを急いでいる」
という所が擬人化なのですが

その時に、擬人化に対して次の意見がでました
「わたしには、月の気持ちは分からない」


「それはそうだ」と思いました
擬人化の対象物が物や動物では、確かに感情移入などできないと思いました



擬人化の句を作る人は、当然、擬人化が悪いとは思わないから作るわけです(わたしです)
しかし、その句を提出する際は、擬人化を嫌う人もいることを
頭に入れておいたほうがよさそうです



もし擬人化の使用に対して注意を受けた場合ですが、その時は意見を聞きながら
「あぁこの人は、擬人化が嫌なのだな」と思えばよいでしょう
その人に注意を受けたからと言って、擬人化は作ってはいけないのだ、などと思う必要はないでしょう

考え方がただ違うというだけなのです