263 俳句は単に「表記上、難しく見えるだけ」



俳句を始めたばかりの頃は、先輩たちの俳句を見ていると何やら難しい言葉を使っているように感じるものです
自分も最初の頃はそうでした
そして、同じようにして、難し言葉で俳句を作った方が良い俳句なのだろう、という思い込みから、普段は使わない言葉を俳句に入れたりしていました、しかし、今それらの句を見返すと、どれも目も当てられないような作品ばかりで、まったく自分らしさも感じれないものになっていました


俳句を一~二年程度やると分かりますが
俳句は、別に難しい言葉を使っている訳ではありません
「表記上、難しく見えてしまうだけ」なのです
それを勘違いして、普段使わないような難しい言葉で俳句を作ると、私と同じようにドツボにはまります
誰からも評価されない俳句を量産することになります
ですから、俳句を始めたばかりの人は、肩の力を抜いて
普段使いの言葉で俳句を作ることを心がけましょう


ちなみに、俳句は難しい言葉で作るよりも
小学生にでもわかる表記で、老若男女に想像させることのできる俳句を作ることの方が、100倍難しいものです




俳句は、なぜ難しく見えてしまうの?

さて、ではなぜ俳句は難く見えてしまうのでしょう
理由を三つあげてみます


①一部の俳句では、漢字を昔の表記で書かれている場合があるから

わたしたちの中で古文をすらすら読める人は少ないと思います
これは、昔の漢字で表記されているため、読みずらいと言うことがあげられます
俳句もそうです
一部の俳句はいまも昔の漢字で書かれていることがあります
例えば「恋」を「戀」と書いたりしています
このような俳句を目にするたびに、読んでいる流れが止まって「あぁ、俳句は難しい」と思ってしまいます
昔の漢字を使った俳句は、現在の人はあまり作っていません
歳時記の中に残っているくらいです
ですから、歳時記の俳句を読んでいる中で、見たことのない漢字が出てきたら、読み飛ばしてしまって構わないでしょう



②17音しかないため、名詞は送り仮名を付けていないから

俳句には独自のルールがあります
わずか17音の中に言葉を詰め込まなくてはいけないため、動詞と名詞を表記法で区別しています
「動詞の送り仮名を入れて、名詞は送り仮名を入れない(たまに入れるときもあります)」
というルールです
このルールを知らないと、送り仮名が付いたり付かなかったりする単語が出てくるたびに、流れが止まってしまい、読みづらさを感じさせてしまいます
どうして、動詞は送り仮名を残すのかというと
動詞の場合は、「飛ばず・飛べば・飛ぼう」などのように
送り仮名が変化するため、送り仮名を省くことはできないからです




③17音しかないため、訓読みになったり、音読みになったり

俳句は17音で詠むため、詠み手は漢字を訓読みや音読みに変化させて
無理やり17音に収めて詠むことがあります
詠む側は自分が作った句ですので読めるのですが
鑑賞する側は、「どう読めばいいの?」と思うことがあります





俳句は別に、難しい言葉を使ったり、難しく表現しているわけではありません
上記の理由があり、「難しく見えてしまう」だけなのです

俳句を始めた人の中には「難しい表現をしよう」と気構えてしまうことがよくありますが
その様なことは無用です
それよりも、小学生にでもわかる表記、言葉遣いで、それでいて面白い俳句を目指しましょう