251 時候、天文、生活など、全部そつなく詠む必要はない?



俳句をやるからには
「時候、天文、地理、生活、行事、植物、動物」
の全部をそつなく詠めなければならない
というように書かれた本があります
中には、先輩からもそのように言われることがあるかもしれません

しかし初学者は、そのような言葉に惑わされないようにしましょう
詠みたくないもの、苦手なものは無理に詠む必要はないといえます
仮にあなたが、生活や、行事の俳句を詠むのが苦手であれば
そのようなものは詠まなくて良いでしょう

苦手な分野は必ずだれにでもあります
それを詠めるために努力するのではなく
自分の好きなものを、好きなように、楽しみながら詠むことが一番大切です


特に、最後の”楽しみながら”が重要です

自分が楽しくなければ、絶対に長続きしません
自分の苦手なもの、余り関心の向かない事物について無理に詠み続けていると
少しずつ俳句を作る楽しが、薄れてしまうはずです



私は、俳句を初めてようやく3年が経過しましたが
3年の間に生活、行事、時候について詠んだ句は1%以下だと思います
時候は作るのが苦手だからです
生活と行事は、苦手と言うよりは、興味を持てないため、作ろうは思いません


逆に、自分の好き対象物は、植物や動物ですので
いままで作ってきた句のほとんどは、植物や動物に集中しています


自分は、植物や動物の句が圧倒的に多いのですが、だからといって
自分自身は、そのことに対して何とも思ってはいません
むしろ、自分自身が好きなのだから、詠む事物が偏るのは当然のことだと思っています
この偏った作り方に対して、仮に誰かに何かを言われたとしても関係ありません
わたしは、その人の為に句を作っているわけではないからです


自分の好きなことを詠むことは、俳句を持続することにもつながると思いますが
その他に、俳句を上達させるという面からみても、好きなことを詠むことは大切なことだと思っています

わたしは、苦手な分野の句を詠めるようになるために時間を費やすのなら
好きな句、自分の得意な分野の句を徹底的に詠んで、その分野で良い句を詠めるようになりたいと思います
出来れば、その分野では、誰も真似できないような自分独自の句を読めるようになれれば、なお良いと思います



例えば、野球選手が一流になるためには
野手、盗塁、バッティング、投手、全てをそつなくこなさなければいけない
などと言われても、そんな訳があるはずないのは、野球をやったことのない人にだって分かるはずです

そつなくこなす、というのは、全てが平均点ということだからです
とびぬけて点数の高い人がいるのに、平均点で誰の目に留まるのでしょうか?

バッティングならバッティング、バッティングの中の特定のバッティングを徹底的に磨く
ピッチャーなら、他のピッチャーの持っていない技術を徹底的に磨く
そのようにして他の人には見られない、何か光るものを身につけなければ
誰の目にもとまることはないはずです


俳句も同じはずです
自分の好きなものを徹底的に詠む、徹底的に詠んで
誰も真似できない、自分にしか読めない句を詠む
そこまでならなければ、誰の目にもとまらない、その他大勢になってしまうのではないでしょうか


全部そつなく詠めなければいけない
そのような言葉に惑わされる必要はないと思います